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こんにちわ。
久しぶりのブログ更新になってしまいました。ここ最近は公私共に忙しい日々が続いており、充実した生活を送っています。ありがたや。

さて。

 先日、人生で初めての体験をして参りました。恋人を両親に紹介する、という行事は38年生きて居て最初で最後となると思われます。なんせ結構恥ずかしい作業でして、紹介される側にとっても「お、おう」という反応しかしづらいんじゃないの?と思い、今日の今日まで生きてきました。

 結果として今まで両親に紹介したいと思える人に出会えてなかっただけ、と言い訳をしてみるのですが、まぁ実際紹介してみて良かったなぁと思う事がありました。両親の馴れ初めなんかも、普通にに生活してたら聞かないし、話さないですもんね。

 そんなこんなで、無事【紹介の儀】を終え実に20年位ぶりに姫路城見学に行って参りました。改修工事の完了が近づいてきており「天空の白鷺」と呼ばれた仮囲いは撤去中。今はちょうど一番見どころの少ない時期で、天守閣がチラリと見える程度でした。観光客もまばらで寂しい印象を受けましたが、折しも大河ドラマ放映期間。それが唯一の救いでしょうか。




 姫路城見学後は新しく出来たピオレ姫路明石風たこ焼きを堪能して帰阪しました。ピオレが出来たお陰で駅周辺は子供の頃に見た賑わいが戻ったように感じました。しかしながら、姫路城と駅を繋ぐ大手前通りや御幸通りは少しもの寂しい印象を受け、子供の頃に感じた一番身近な都会である「姫路」もこうやって大人になって色んな都市を見、遊んできた今の私にとっては一地方都市に良くある問題を抱えた町にしか見えなくなってしまいました。

 ここ数年、JRをはじめ鉄道各社が駅構内や駅周辺に自社で商業施設を開発し、顧客の街への流出を阻止しているかのような状態が各地で見られています。私が再開発事業に携わる時、商業施設の在り方として目指すものは「街としての魅力向上」と掲げており、イオンモールのように来街者がワンストップで全て事足りる施設を作りたいのではなく、街として面で集客が出来る施設の一つを手がける事を考えています。

 先日、アド街ック天国で久しぶりに大阪の街が取り上げられていました。それは天神橋筋商店街で非常に楽しく拝見しました。中でもぷららてんまは恥ずかしながら存じ上げておらず、同じ再開発を生業とする身としては是非見に行かないと、と思い週が明けてすぐに同僚達と見に行きました。

 ぷららてんまにこそ、なんというか私にとって一つの理想型が込められた施設の形がありました。とかく古い町並みをぶっ壊して、ただ箱だけ新しくなるというイメージが再開発にはありますが、再開発後もなんというか「活きている」感がある再開発ビルは世間にはそうそうありません。自分がこの再開発に携わる仕事をしている限り、自分自身も「ええな」と思える物件に仕上げるお手伝いが出来るようにと仕事上の目標が生まれました。
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こんにちわ。

 昨日のエントリー、後半部分はかなり端折って書きましたが、この津~鵜方の電車旅がかなり辛かったんです。いつ電車が止まるか分からない、いつ電車が走るか分からないという綱渡り状態で。いっそタクシーで目的地まで向かうかーと思うにも、高速は全線不通、一般道は大渋滞。八方塞がりの中を一縷の望みを託して牛歩で目的地に向かうといった様相。

 ホテル側の対応が素晴らしく、お食事もお風呂も遅くまで待って頂きおかげ様でそれまでの疲れは吹っ飛びました。お陰で男子フィギアのフリーを見ながらうつらうつらとし、金メダルの瞬間を見てから就寝。朝風呂入って午前10時に出発でした。

 本来であればまわりゃんせで色んな場所に遊びに行こうと思ってたのですが、払い戻しをしてしまったのと、雪による交通事情の悪化を懸念して必要最小限の観光に留めました。

 とりあえず行ってみたかった賢島と伊勢神宮(外宮・内宮)おかげ横丁を巡って来ました。



 雪化粧の伊勢神宮もこれまた粋な景色でした。足元悪い中、多くの参拝客で賑わっており臨時バスも概ね満員状態でバス会社さんも赤字路線を補って余りあるドル箱路線だろうなぁと下衆の勘ぐり。あと印象に残ったのは、おかげ横丁にて「伊勢うどん」のお店がこれでもか!と乱立してた事。伊勢うどんという名称自体ここ最近知ったし、あともっと違う個性も出して欲しいなぁという印象が強く残りました。ヘンコなんで勿論伊勢うどんなぞ食せず、松坂牛骨ラーメンを食べました。(これが名物になるには・・・ちょっと厳しそうというお味でした。)

 さすがに二日目は少々お疲れ気味だったので、早めに帰路に着き午後5時半過ぎ大阪上本町着にて旅は終了。旅の締めは、すごい久しぶりに行った「村さ来」で旅の思い出話を肴に。村さ来って久しく行ってない割には、子供の頃に家族旅行か何かで何処かに行った際に連れて行ってもらった初めての居酒屋さんだったという思い出。何故か似たような思い出を相棒も体験した事があるとの事で敢えてのチョイスでした。たまには良いよねー村さ来。子供の頃は名前が読めなかったなーとか。30年ちょい経ってるけどそんな些細な事をおぼろげにでも覚えてるって、当時は強烈なインパクトが合ったんだろう。多分初めて「ジンジャーエール」なる飲み物を飲んだのもこの村さ来でした。

 ・・・なんて思い出話に花が咲き、大雪の中を紀伊半島横断旅行はこれにて終了。忘れられない良い旅が出来ました。うんうん。



こんにちわ。

先日の大雪は、私の大阪生活18年の中でも最も積雪量が多かったのではないかという位に降りましたね。そうは言いながらも当日は大阪におりませんでした。タイトル通り無謀にも旅行に行っておりましたので、その様子をツラツラと記載したいと思います。

2月14日(金)
一段落した現場状況にて、今までの休日出勤の代休を頂き三重県の志摩へ一泊旅行に行ってきました。まわりゃんせを利用してしまかぜに乗って行く旅の予定でした。

天気予報は雪。とはいえ大勢に影響はないだろうと高をくくって望んだ当日。



午前7時半過ぎ、我が家からの風景。既にちょっとした雪国状態。交通情報を逐一見ながら身支度をしておりましたら、【近鉄志摩線は運休】との報。この時点で諦めるのもアレだし、と思いながら大阪上本町駅まで徒歩で行きました。吹雪状態で10メートル先の視界も悪い状態で、果たして本当にここは大阪か?と思いつつ、ゆっくり歩みを進めていきいつもより倍近い時間を掛けて駅に到着。

窓口にて列車の運行状況を確認するも、予想通りの「三重方面運休、復旧の目処立たず」との回答。なくなく事前購入したまわりゃんせとしまかぜのチケットを払い戻し、状況を整理するため喫茶店で頭を冷やす事に。

ここでの選択肢は2つ。
・なんとかして目的地まで向かう。
・旅行日程の変更。

ホテルのキャンセル代とかは日程変更にて回避が可能でしたが、なんとなく代休が無駄になるのが嫌で、ここは意地でも目的地に到着しようという結論に至りました。途中で進めなくなったらそこで終了の行き当たりばったりの旅の始まり。

まずは近鉄線での東に向かう事が無理な状況だったので、JRの運行状況を確認。大幅な遅れはあるものの東方面に進める事は確認出来たので、上本町→天王寺行きの100円バスに飛び乗りました。

その次はJRにて天王寺→奈良へ。関西本線にまで辿り着けばなんとか三重までは進めそうな気配。凡そ90分遅れで電車が到着し、一路奈良へ。大阪と奈良の県境辺りはちょっとした山越えルートなのですが、その辺りは既に積雪10センチ程度の銀世界。案の定、王子駅手前にて足止めを食らう事に。



乗客も少なく、しーんと静まり返った車内に閉じ込められて約15分。数少ない乗客の方たちも車窓からの風景を撮影していたので便乗して激写しました。

王子駅でポイント切り替え設備の点検のため、約40分の足止め。この頃にはもうすっかり先を急ぐ事は諦め、この数十年に1度の大雪と旅行を楽しむことだけに注力しました。相棒も文句一つ言わずにこの無謀な旅行を楽しんでくれている事が本当に心強かったです。この人となら多分これから先ずっと一緒に暮らしても大丈夫なんじゃないかなぁと、そんな風に感じたのです。

仕事で通い慣れた奈良駅も滞在する余裕は殆どなく、これから予想される長い待ち時間中に食事を摂れるようにと、美味しいパン屋さんでテイクアウトをし出発。奈良から東に向かう際には、線路際の竹林が降雪により折れ、一部にて運休となっており代替輸送であるバスにて向かうことになりました。

奈良→加茂までバスにて50分程。この時点で14時過ぎ。正直、目的地までたどり着ける青写真はもう見えなくなってきました。ここで少し心が折れかけたんですが、次の列車の待ち時間中に先述のテイクアウトしたパンを雪景色を見ながら食べて気持ちが復活。ここから先しばらくは単線の2両編成の列車に揺られて一路亀山を目指します。近鉄線が運休のせいか、この2両編成の車両は乗車率130%程度。少し窮屈な思いをしながら1時間強の旅でした。

亀山駅からはJR東海路線。本来であればここから松坂を目指すルートなのですが、こちらも雪による運休で遠回りを強いられます。名古屋行きの快速に揺られて河原田駅まで。

河原田駅で伊勢鉄道に乗り換え。一路、県庁所在地である津駅を目指します。この時点でそろそろ夕方の帰宅ラッシュ。相変わらず近鉄線の運休は続いています。このままでは途中で進路がストップしてしまう・・・という不安に駆られながらも、ここまでくれば引き返す事すら出来ません。

津駅に到着し、JR・近鉄の2WAYにて目的地に近づく事が可能になりましたが、どちらも次の列車のアナウンスがありません。駅員さんに聞いても一人ひとりの回答が違うくらい大混乱状態。「復旧の目処がたちましたのでもう暫くお待ちください。」との回答を唯一の拠り所に待つこと約20分。

先にJRが津→伊勢市駅迄の運行を再開することが決定し、急いで乗車。刻一刻と状況が変わる中JRと近鉄電車を乗継ぎ、午後8時半にホテルに到着。予定より7時間強遅れてなんとか辿り着きました。

本来であれば乗り換えなし快適な特急列車の旅が、都合10回の乗り換えと9時間強掛かったなんとも疲れる旅行初日でした。まぁ、普通はそんな日に出かける方が馬鹿だとそう思いますがこれはこれで生涯忘れられない旅となりました。

続きは後日。


【ルートおさらい】
我が家→大阪上本町駅→阿倍野橋駅→天王寺駅→王子駅→奈良駅→加茂駅→亀山駅→河原田駅→津駅→松坂駅→宇治山田駅→鵜方駅→ホテル

こんにちわ。

新春一発目の更新からまた日が空きましたが、特に変わり映えのない平穏な日常を過ごしています。担当物件が年末で一段落し、そろそろ次の物件へと徐々にシフトチェンジしていく予定。

正直、一番楽しいのがこの時期なんですよね。まだまだお客さん気分でいられるのはこの時期だけです。

このまま特に問題なければ次の物件は広島になる模様です。大阪の次に好きな街です。

先日、二泊三日の広島出張に行って参りました。お酒を飲まない上司なので、アフター5は多少の暇を持て余す状態でしたので、1夜目はホテル周辺をお散歩して来ました。



幼少期に家族旅行で平和公園に行った記憶はかすかに残って居ましたが、広島城は初めて実物を見た気がします。地元に世界に誇る名城がある私にとって、他の城を見ても大した感動を産まないもんだという先入観も手伝ってか、広島城を生で見て少し感動してしまいました。写真フォルダに20枚程残っているくらい、バシバシと撮影してやりました。日中ではなく夜見たから尚更、印象的だったのかもしれませんね。いやーカッコ良かった。

2日目の夜は、八丁堀界隈の少し入りにくそうな居酒屋を探して小一時間散策。昔、オダギリ氏と上町台地を歩きまわった時の経験を活かし、嗅覚を信じて入ったお店がはまもと(食べログへのリンクです。)

観光客はまず立ち寄らないだろう外観と、飾らない地元の味を提供してくれそうな佇まいに惹かれて、勇気を出して入店しました。適度に素っ気ない接客で、常連だけしかいないお店でしたが小一時間退屈することなく美味しいお酒を堪能してきました。酢牡蠣、穴子天ぷら、おでん盛り合わせ、厚揚げの炊いたん等を肴に、隣のおじさんの武勇伝を聞かされ・・・まぁこれはこれで楽しいのです。生ビール1杯と焼酎芋お湯割り3杯を飲んで、ほろ酔いでホテルに帰りました。

どこの街にも繁華街には全国似たようなお店ばかりですが、少し外れのその土地にしかない店に酒を求めて彷徨う・・・私の大好きなテレビ番組である吉田類の酒場放浪記よろしく、広島で一人酒の旅を楽しみたいと思います。

こんにちわ。
本日より通常勤務とはいえ、忙しかったのは昨年末まで。年明けは少しゆっくりとした時間の流れで暖機運転中ですので、昨日の続きを書きたいと思います。


29日は家でゆっくりと過ごし、夜半に恒例行事となっている釣りに出かけました。冷え込みが厳しい予報の為、出来る限りの防寒対策を施し出発。現地にはAM1時30分には到着していたかと思いますが、そこから明け方の出船時間までひたすら夜釣り。

夜釣りの釣果は24センチ位のガシラ一匹のみ。まぁ思ったよりも寒くなく、釣れはしないものの楽しい夜釣りでした。明けて6時に船が沖へ出発。朝一番がまぁ良く釣れるはずなのですが、ものの10分も経たない内に鯵フィーバーは終了。私はその間、最初の一投目にてお祭り・・・完全に地合いを逃してしまいました。それ以降もそこそこ大きいガシラが釣れた程度で、ポカポカ陽気に誘われて眠気に勝てず暫し仮眠。

速い潮と隣との間隔の狭さで、4投げに1回位お祭り状態。さすがに萎えてしまいました。



3人の釣果。ウマヅラと鯵がいい型で後は・・・という少し寂しい釣果でしたが、恒例行事としてはまぁ楽しかったです。ここ最近は宴会の人数も少なくなってきて寂しくはありますが、懲りずに来年も参加したいと思います。

そして31日大晦日。夕方まではゆっくり過ごして、年越しは彼女とお鍋をつつきながら、ガキ使と時折紅白を見て過ごしました。

明けて元旦。橿原神宮へ初詣。思ったより混雑してなくて良かったです。今まではどうせ元日にわざわざ初詣する必要もないだろうと思ってたのですが、来年からは恒例行事にしようかと思っています。



2日は難波へ初売りセールを見がてらブラブラ。お財布と無線ルーターを購入し、彼女からマフラーをプレゼントしてもらいました。正月早々から買い物とはこれまた珍しい行動で、少し財布の紐が緩んでしまいました。買い物を終えてから姫路へ帰郷。

3日は慣れない正月を過ごしたせいか、初風邪をひいてしまいました。半覚醒状態のまま幻覚と闘いながら夜が開けるのを待つしか出来ない非常に辛い夜でした。翌日のお昼過ぎには何とか普段通りの生活が出来る状態にまで回復し、夕方に帰阪。

連休最終日5日は、全く手を付けてなかった大掃除に着手。風呂→トイレ→台所をスチームジェットクリーナーを駆使して半日掛けて掃除。掃除自体が半年振り位だったので、大層な汚れとの戦いでした。

2013-2014の年末年始は、例年より動きまわったせいか少し疲労が残ったまま仕事始めを迎える結果になりました。そして食べまくったせいかまた過去最高の体重を更新する事に・・・。今年はダイエットを意識した生活を送る事、ゴルフの練習を少し頑張る事、あと宅建を今年こそ取得する事。この辺りをゆるーく目標立てて励みたいと思います。

こんにちわ。

 いよいよ年の瀬、明日は仕事納めでございます。
そんな師走も終わりを迎える本日、長かった一つの現場の竣工検査が終了致しました。実際、私単独で最初から最後までを完遂した物件はこれが初です。振り返ってみると、色々な足枷が多く100点満点の調整結果ではありませんでした。(この100点満点というは完全に自己満足の範囲ですが、個人的には誰にとっても程よく80点程度の満足度が得られる出来が満点だと考えています。)

 前にも書いたように「これ後々ヤバイだろうな・・・」と感じたポイントを事前に潰す事が出来なかった点もありつつ、課題は積み残したままの状態ですがまぁ取りあえずは一段落。

 今年の仕事納めは東京で迎えます。とりあえずは今年もなんとか無事に仕事納めを迎えて良い正月が過ごせそうです。

こんばんわ。
いよいよ2013年もあとわずかとなりました。当ブログは何度となく更新終了のお知らせを挟みながら、2007年8月8日から書き始め6年の歳月を超えてきた運びとなります。

最初のエントリー

当ブログの読者層については概ね3名程度のリピーターと、その時々の話題で検索し迷いこんで来られた方が1回だけ見に来てしまった、という現状で細々と運営をしております。最初のエントリーに書いてあるとおり、私の行く末を陰ながら見守ってくれている人が一人でもいる限りは続けて行こうと思っております。

とはいえ、とはいえ。

あくまで私自身にとっての【備忘録】として、あの時にこんな事があったんだーと振り返る用である主旨は変えずに参ろうと思う次第です。・・・と、仕事の合間にふと昔の自分を振り返ってみたくなり、一部個人的感情が剥き出しになり過ぎたなぁと自戒して非公開設定にしたエントリーも少しだけ公開設定に戻してみました。(特に横浜転勤前後と、大阪再赴任辺りの心の揺れが激しかったなぁ・・・。)


さて本題。


後悔先に立たずという事ですが、今まさに渦中に陥っております。少しばかり楽な現場だなぁと手を抜いて仕事をしてきた結果、一番大事な時に問題が噴出しまくりで・・・。「あーこれ後々やばくなるなぁ」という嗅覚は今までの経験で感じ取る事が出来るようになったものの、それに対処する詰めの甘さが露呈してしまっております。どうにも担当者が私一人の場合は、「どうなってもケツ拭くのは自分やしなぁ。」とある意味楽観視し過ぎてしまうきらいがあるようで、問題を先送りにするのが短所のようです。

先日、何かのネットニュースサイトで見た記憶があるのですが、「やった事を後悔するより、やらなかった事を後悔する事が多い」という人が多かったみたいな、まぁ内容のない記事だったと思いますが、まさにその通り。

多少は痛い目見て身体で覚えないとあきませんね。自戒。

こんばんわ。

本日の冷え込みは厳しく、現場内を歩きまわるのも心が折れそうになる寒さ。
これでもまだ1月2月の現場環境よりは随分マシなお陰で、体調にも恵まれたままようやく折り返し地点が見えてきた今日このごろです。

さて。

タイトルは誤用となりますが、この早寝早起き6連勤の生活にも随分慣れてきて苦じゃなくなりつつあります。少しばかりの飲みのお誘いや釣りのお誘いなんかに対応出来ない辛さはありますが、環境変化への適応は多少自身を持って良いんじゃないかなと少し自分を褒めてみたり。

ま、それは良くも悪くもなんですが、怠惰な時はより怠惰に、勤労な時はより勤労にとスイッチが入ればそれなりに持続出来る適応能力は、確かに振り返ってみればそれなりに持ちあわせてたのかもと思い至りました。その一方で持続力・持久力に難があるのが私。

過去を振り返り思い当たる節が色々とあるのですが、小・中学校時点でその徴候が既にありました。小・中と陸上部に所属していましたが、その頃から多少の自覚があったのでしょうか。長距離走は大の苦手。短距離走のインターバルトレーニングであればそんなに苦ではなかった経験があります。

そのほかにも例を挙げれば、恋愛が長く続かないのもそのせいかもしれませんね。(これは己の精神的未熟さ、の方が起因してると思われます。)
他、ブログもそうでしたが「頻繁に書かなければいけない」と思ってから書く事が苦痛になり、何度となく断筆宣言をして現在に至ります。


・・・と、ここまで書いて思ったのが「ペース配分が分からない、程よい加減を知らない人間」という側面が強い事に気が付きました。確かに、お酒を飲むペースも加減も未だに上手くコントロール出来ない駄目人間でしたね。(一緒に飲んだことある方ならお分かり頂けるであろう)

ようやく激務も折り返し地点。根詰め過ぎないようにして精神と肉体を壊さないように励みたいと思います。ではまた来月。



こんにちわ。
 早いもので今年もあと二ヶ月。そろそろ現場も佳境に入って来まして、早出・休日出勤の季節になってしまいました。せっかくお誘い頂いた串本モニターツアーも今年は断念せざるを得ない・・・去年のモニターツアーは楽しかったなぁ。と過去に思いを馳せながらの更新です。

さて。

 三ヶ月前のエントリーに書いていた中途採用の最終結果が出ました。結論から申し上げるとご縁がなかったのですが、なにかとタイミングが噛み合わなく今後につなげる事が出来なかったのは残念です。

 仕事の飲み込みも早いし、頭も良い。本来であればこれで合格点だと思います。

 ただ残念だったのが、「採用側」の人間の勝手な物差しに当てはめてしまった点に尽きます。「一緒に働きたい人物か否か」という一点にて、結果良縁には至らなかったという事は申し訳ないなと痛感しています。個人的には気になるなぁと思いつつ目を瞑れる範囲の事だったのですが、見る人が変わればそれは「有り得ないっしょ。」と全否定ともなりうる要素があり。かといってそれをフォローしてあげれるだけの人間関係も築けてなかったという事実。一度拒絶反応を示した人を説得するだけの材料もないし・・・。と結局、不採用に同調してしまった。

 彼には他社さんに行って頂いた方がきっと伸びるし、評価もされると思います。自分も今回の件で顕著になった自分の中で感じていた違和感ときちんと向き合い、今後について考えたいと思います。



こんにちわ。

いつ書こう、いつ書こうと思いながら気付けば当日になってしまいました。

 2013年10月10日うえまち貸自転車は開業10周年を迎えました。10年前は私もその場におり、オダギリ氏と共に皆の笑顔に包まれてのオープン記念パーティーを行っておりました。気付けばあれから10年の歳月が過ぎ去ってしまった事に驚きを感じます。ほんまあっと言う間やった。

 振り返るとうえまち貸自転車時代は、良い意味で【人生の寄り道】だったと思います。あの時の経験や仲間との語らい等すべては現在の私の血となり肉となり、これからの人生でも役立ってくれると思います。思い出話は元店長ブログや当ブログでも周年の際に折りに触れて記載してるので、興味があればそちらを御覧ください。

 うえまち貸自転車とは3年弱のお付き合いでしたが、それ以後もお店を存続させ一つの区切年まで頑張ってくれたオダギリ氏に改めてお礼と感謝の意を表すと共に、経営権の譲渡という事もあり、私がもう話題に出すのも筋違いなんでこれで元店長としての話題は終了に致します。

 あと甥っ子も10歳。これからもすくすく育って下さい!