2012/04/16 19:37:23
こんにちは。
本日は好天に恵まれ、ぽかぽかと暖かい一日でした。この季節はたいてい空調機を運転していませんので、場所によっては汗をかく程暑かったりしますね。おかげで今日はちょっと汗臭い午後7時の事務所から更新です。
さて。
先週末に岬町へ釣りに行って参りました。釣りゆうても海上釣り堀です。

お陰さまでクーラーボックスからはみ出す大物を釣ったり。(自分が釣った訳じゃないけど)
鯛、メジロ、シマアジ、イサギ、フグ等、魚種豊富に釣れました。参加者全員最低一匹は釣れてホッとしました。
しかしながら天気は予報通りに午前中はほぼ雨模様で、せっかく前乗りで夜釣りを楽しもうと思ってたのですが、寒さと雨に勝てず・・・車で就寝でした。
お昼過ぎあたりから天気も回復し、ようやく春の釣りというポカポカ陽気の下で釣り糸を垂れるという贅沢空間に様変わりをし、個人的にも後半はほぼ入れ食い状態だったので楽しめました。ここ数回の釣りであまり釣果が良くなかったので、ようやく喪が明けたという感じです。

ここの釣り堀の素敵な所は「捌いてくれる」という所。いつもは徹夜で夜釣りをし、そのまま船に乗ってお昼過ぎまで釣りをし、帰って来てから友人がほぼ1人で10匹以上の魚を捌いて調理し、宴会をしてグダグダに酔っ払って午後11時に解散という流れで、一番しんどいのがお魚を捌くという行為です。
上の写真はお魚の下に捌いてくれたお魚が入っており、素人には捌けないフグも入っています。
このフグが絶品でして、まぁ普段釣れるクサフグはいわゆる外道で釣れた瞬間にリリースをします。食べれへんやつです。今回釣れたのは養殖のフグで、きっとトラフグだと思います。てっちりにして頂きました。
今回の釣りは、釣り堀でしたので有難みは薄いですが、宴会は過去イチに美味しく頂けたのではないでしょうか。それにしても釣りガールはいったいどこにいるのだろう・・・こんな楽しみを共有できる女子に出会いたいですわ。
本日は好天に恵まれ、ぽかぽかと暖かい一日でした。この季節はたいてい空調機を運転していませんので、場所によっては汗をかく程暑かったりしますね。おかげで今日はちょっと汗臭い午後7時の事務所から更新です。
さて。
先週末に岬町へ釣りに行って参りました。釣りゆうても海上釣り堀です。
お陰さまでクーラーボックスからはみ出す大物を釣ったり。(自分が釣った訳じゃないけど)
鯛、メジロ、シマアジ、イサギ、フグ等、魚種豊富に釣れました。参加者全員最低一匹は釣れてホッとしました。
しかしながら天気は予報通りに午前中はほぼ雨模様で、せっかく前乗りで夜釣りを楽しもうと思ってたのですが、寒さと雨に勝てず・・・車で就寝でした。
お昼過ぎあたりから天気も回復し、ようやく春の釣りというポカポカ陽気の下で釣り糸を垂れるという贅沢空間に様変わりをし、個人的にも後半はほぼ入れ食い状態だったので楽しめました。ここ数回の釣りであまり釣果が良くなかったので、ようやく喪が明けたという感じです。
ここの釣り堀の素敵な所は「捌いてくれる」という所。いつもは徹夜で夜釣りをし、そのまま船に乗ってお昼過ぎまで釣りをし、帰って来てから友人がほぼ1人で10匹以上の魚を捌いて調理し、宴会をしてグダグダに酔っ払って午後11時に解散という流れで、一番しんどいのがお魚を捌くという行為です。
上の写真はお魚の下に捌いてくれたお魚が入っており、素人には捌けないフグも入っています。
このフグが絶品でして、まぁ普段釣れるクサフグはいわゆる外道で釣れた瞬間にリリースをします。食べれへんやつです。今回釣れたのは養殖のフグで、きっとトラフグだと思います。てっちりにして頂きました。
今回の釣りは、釣り堀でしたので有難みは薄いですが、宴会は過去イチに美味しく頂けたのではないでしょうか。それにしても釣りガールはいったいどこにいるのだろう・・・こんな楽しみを共有できる女子に出会いたいですわ。
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2012/04/11 18:04:13
こんにちわ。
すっかり春めいてきた近頃ですが、本日の雨で満開の桜もずいぶんと散ってしまったでしょうね。
今年は社内行事としてのお花見も中止で、プライベートでも花見の予定もなく、仕事の途中で休憩がてらに1人花見という感じでした。
仕事にて緑地公園駅に用事が出来たんで、打合せの後に服部緑地へと足を延ばしてみる事にしました。平日のお昼という事もあってか、近くの学生さんがマクドの包装紙を持って公園に向かっている様子が多く見受けられました。

公園の入り口に橋が架かっており、その川沿いに桜並木が綺麗だったのでそこで撮影。結局は公園内には入らずそのまま仕事に戻りました。最近休日は自宅に籠りっきりで、先週末当たりに自転車で近所の桜でも見に行こうと思ってたのですが、結局面倒になり・・・と全く満開の桜を見ていなかったので、これで今年の桜は満足といった感あり。
この先あと何回、桜が見れるんだろう。
すっかり春めいてきた近頃ですが、本日の雨で満開の桜もずいぶんと散ってしまったでしょうね。
今年は社内行事としてのお花見も中止で、プライベートでも花見の予定もなく、仕事の途中で休憩がてらに1人花見という感じでした。
仕事にて緑地公園駅に用事が出来たんで、打合せの後に服部緑地へと足を延ばしてみる事にしました。平日のお昼という事もあってか、近くの学生さんがマクドの包装紙を持って公園に向かっている様子が多く見受けられました。
公園の入り口に橋が架かっており、その川沿いに桜並木が綺麗だったのでそこで撮影。結局は公園内には入らずそのまま仕事に戻りました。最近休日は自宅に籠りっきりで、先週末当たりに自転車で近所の桜でも見に行こうと思ってたのですが、結局面倒になり・・・と全く満開の桜を見ていなかったので、これで今年の桜は満足といった感あり。
この先あと何回、桜が見れるんだろう。
2012/04/02 18:24:11
こんにちわ。
約一ヶ月振りの更新です。今年に入ってからほぼ月記状態で申し訳ございません。身体だけは元気にやっています。近況ですが、2月末にようやくスマホデビューをしました。近頃はMNP(携帯番号ポータビリティー)による各キャリアの既存顧客の奪い合い合戦の様相を呈していますが、私は相変わらずDocomoのまま機種変更という状態です。
今やi-phone全盛時代で、右も左もi-phone持ちです。逆をいえばそれ以外の端末に魅力が全然ない、というのが私の見方です。実際、今まで機種変更をしたいと思うスマホに出会ってませんでした。だいたい自分の機種変更のタイミングは「欲しいと思える端末か否か」で、前に使っていた端末まではものの見事に欲しいと思う端末が、そろそろ替え時というタイミングで発売されていたのですが、直前に使っていた端末はとても大好きだった端末を酔っ払って壊してしまった為に仕方なく買い替えた・・・という愛着も糞もない端末でした。
だから新機種については欲しいと思えるものが中々出て来ず、スマホへの変更タイミングを逸していました。
今使っている端末は「Xperia NX」といい、とてもシンプルな所謂グロスマです。とてもマイナーで人気も薄く、発売直後ですがもう生産終了との呼び声も高い機種で、ひねくれ者の私にぴったりです。あんまり皆と同じ機種ってのは、あまり好きじゃありません。
てな感じで、ここ一ヶ月は仕事の合間にスマホを弄りながら、徐々に慣れていってる最中です。スマホの先輩方、お勧めのアプリなんかございましたら教えて下さい。
という余談はさておき。
新年度を迎えたというものの、特段の変化はなにもありません。やれ部署替えやら、転勤やら、昇進やら、昇給やら・・・そういったものとは一切縁がありません。まぁでも、街ゆく人々の服装が春めいてきたり、就職活動中のリクルートスーツ姿や、入社式を迎えた新社会人等を見るにつけ、自分自身も心機一転という感じになるのは春のいい所です。
今の職場に転職して6年目になりました。この6年間、まぁ色々とありまして仕事に対する思い、職場に対する思い等、またきちんと向き合わなければいけないなぁと思っています。学生時代のようなクラス替えみたいな、そんなイベントがないと折り目を正す機会って中々ないですよね。最近は特に漫然と仕事をこなしていただけ、という状態が続いていたと思います。
新年度を迎えるにあたり、折り目正す機会と出来るようにしたいと思って今日はこのへんで。
約一ヶ月振りの更新です。今年に入ってからほぼ月記状態で申し訳ございません。身体だけは元気にやっています。近況ですが、2月末にようやくスマホデビューをしました。近頃はMNP(携帯番号ポータビリティー)による各キャリアの既存顧客の奪い合い合戦の様相を呈していますが、私は相変わらずDocomoのまま機種変更という状態です。
今やi-phone全盛時代で、右も左もi-phone持ちです。逆をいえばそれ以外の端末に魅力が全然ない、というのが私の見方です。実際、今まで機種変更をしたいと思うスマホに出会ってませんでした。だいたい自分の機種変更のタイミングは「欲しいと思える端末か否か」で、前に使っていた端末まではものの見事に欲しいと思う端末が、そろそろ替え時というタイミングで発売されていたのですが、直前に使っていた端末はとても大好きだった端末を酔っ払って壊してしまった為に仕方なく買い替えた・・・という愛着も糞もない端末でした。
だから新機種については欲しいと思えるものが中々出て来ず、スマホへの変更タイミングを逸していました。
今使っている端末は「Xperia NX」といい、とてもシンプルな所謂グロスマです。とてもマイナーで人気も薄く、発売直後ですがもう生産終了との呼び声も高い機種で、ひねくれ者の私にぴったりです。あんまり皆と同じ機種ってのは、あまり好きじゃありません。
てな感じで、ここ一ヶ月は仕事の合間にスマホを弄りながら、徐々に慣れていってる最中です。スマホの先輩方、お勧めのアプリなんかございましたら教えて下さい。
という余談はさておき。
新年度を迎えたというものの、特段の変化はなにもありません。やれ部署替えやら、転勤やら、昇進やら、昇給やら・・・そういったものとは一切縁がありません。まぁでも、街ゆく人々の服装が春めいてきたり、就職活動中のリクルートスーツ姿や、入社式を迎えた新社会人等を見るにつけ、自分自身も心機一転という感じになるのは春のいい所です。
今の職場に転職して6年目になりました。この6年間、まぁ色々とありまして仕事に対する思い、職場に対する思い等、またきちんと向き合わなければいけないなぁと思っています。学生時代のようなクラス替えみたいな、そんなイベントがないと折り目を正す機会って中々ないですよね。最近は特に漫然と仕事をこなしていただけ、という状態が続いていたと思います。
新年度を迎えるにあたり、折り目正す機会と出来るようにしたいと思って今日はこのへんで。
2012/01/05 19:19:09
こんばんわ。
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年も更新頻度の少ない当ブログをご愛顧賜ります様よろしくお願い致します。
久しぶりの更新が年越しとなってしまいまして申し訳ございません。
年末は少々バタバタしながらも、なんとか仕事納めをし納会に参加してきました。
例年ですと明るい話題が多い納会も、会社の経営状態が芳しくないせいか比較的あっさりと終了いたしまして。とはいえ、帰宅時間は午前3時でした・・・終電を気にしないで楽しく飲めるのがウチの会社の良い所でもあり悪い所でもあり。ここから約1週間の冬期休暇に突入です。
休暇初日はお酒が残ってるせいもあり、夕方近くまで寝て夜から和歌山へ鯛釣りに出かけました。
この時期、ほんと寒いのに釣りをする人って釣りバカだと思うのですが、案外結構居るんですよね。夜1時半過ぎに港について、そこから午前6時の出船まで軽く釣り。風が強く体感気温も低い中、お酒を飲みながら釣り糸を垂れてたんです。
そしたら強風に煽られて、まだ一口しか飲んでいないお酒(蓋付タイプ)が海中へドボン・・・。
まだ一口しか飲んでないし、蓋もきっちり閉めてたし、頑張れば手の届きそうな場所に落ちたので回収可能かと思い四苦八苦していました。そのお酒は波止付近に岩が積んである地帯に近付いて来たので、これは回収出来る!といざ岩場に降りてお酒に近付いてみました。
干潮だったのかもしれませんが岩場は少し濡れていて、尚且つ海苔のような付着物が岩にへばりついてたせいか、だいぶ足元が滑りやすい状態になっていまして・・・案の定、滑り落ち岩と岩の間に足が挟まり、尻もち状態。
左足だけずぶ濡れになりました><
それから丸一日近く、ずぶ濡れの左足のまま釣りをしたのですが、さすがに濡れた状態のまま寒風吹きすさぶ中釣りをするのは最悪のコンディションであり。私の目標は正月用の鯛(30㎝オーバー)、皆の努力目標は1人10匹!としていたにも関わらず、クーラーボックスの写真が全員での釣果です。20㎝~25㎝程度の真鯛をメインに、ガシラ、カワハギ等が合計20匹強釣れました。(1人当たりの平均釣果は5匹)


下が自分の釣果です。一匹鯛が見切れていますが、鯛3匹、カワハギ、ガシラ各1匹の合計5匹。小振りとはいえ天然の鯛を釣ったのは多分初めてだと思います。小さい魚体ながらも小気味の良いクイックイックイッという引きはとても気持ち良いものです。出来れば30㎝オーバーの天然鯛を実家に持って帰って、家族で食べたかったんですが、まぁ致し方無し。
午前6時半~11時半位まで釣りを堪能し、いざ港へ戻るという段にて。
当日は風が強かったせいかもしれませんが波が非常に高く、特に港に戻る際はこれまでに経験した事のない高浪で、そこらへんの絶叫マシンより怖い船旅でした。「ひょっとしたら転覆するかも」と密かに死の恐怖と闘っていたのは私だけではないはず、です。友人はUSJのジュラシックパークの最後の波飛沫以上に、したたかに浪を被りびしょぬれになっていました。
そんな友人の姿を見て、恐怖心から解放され思わず笑ってしまったのですが、「人の不幸を笑うなんて最低やな!」って・・・だって面白かったんですもの。自分に至ってはたかだか酒を取る為に左足が一日中びしょ濡れですから。形は違えど真冬にびしょ濡れになったもの同士、笑い合ってもいいやんねぇ。
まぁなんとか無事に帰港し、陸上でも少しフラフラする軽い船酔い状態のまま、加太温泉に立ち寄って暖をとり帰阪後に釣った魚で宴会というお決まりのパターンへ。
前述の足ずぶ濡れ状態のせいか、宴会開始時には軽い風邪の引き始め状態でテンションは低かったのですが、やはりお酒のチカラ。最後は泥酔しない程度にご機嫌に酔っ払って帰宅。ぐっすり眠って、甥っ子から早く実家に帰って来てよーという電話にて、軽く家事を済ませた後、大掃除もしないまま帰郷致しました。
実家での出来事は特筆すべき事はありませんでしたが、甥っ子と約1年以上逢ってなかったせいか、随分と成長したように感じました。まぁ身長も足も同年代の子よりだいぶ大きいみたいで、きっとあっという間に自分の身長に追い付き追い越されるんだろうなと、切なくなった2012年の始まりでした。
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年も更新頻度の少ない当ブログをご愛顧賜ります様よろしくお願い致します。
久しぶりの更新が年越しとなってしまいまして申し訳ございません。
年末は少々バタバタしながらも、なんとか仕事納めをし納会に参加してきました。
例年ですと明るい話題が多い納会も、会社の経営状態が芳しくないせいか比較的あっさりと終了いたしまして。とはいえ、帰宅時間は午前3時でした・・・終電を気にしないで楽しく飲めるのがウチの会社の良い所でもあり悪い所でもあり。ここから約1週間の冬期休暇に突入です。
休暇初日はお酒が残ってるせいもあり、夕方近くまで寝て夜から和歌山へ鯛釣りに出かけました。
この時期、ほんと寒いのに釣りをする人って釣りバカだと思うのですが、案外結構居るんですよね。夜1時半過ぎに港について、そこから午前6時の出船まで軽く釣り。風が強く体感気温も低い中、お酒を飲みながら釣り糸を垂れてたんです。
そしたら強風に煽られて、まだ一口しか飲んでいないお酒(蓋付タイプ)が海中へドボン・・・。
まだ一口しか飲んでないし、蓋もきっちり閉めてたし、頑張れば手の届きそうな場所に落ちたので回収可能かと思い四苦八苦していました。そのお酒は波止付近に岩が積んである地帯に近付いて来たので、これは回収出来る!といざ岩場に降りてお酒に近付いてみました。
干潮だったのかもしれませんが岩場は少し濡れていて、尚且つ海苔のような付着物が岩にへばりついてたせいか、だいぶ足元が滑りやすい状態になっていまして・・・案の定、滑り落ち岩と岩の間に足が挟まり、尻もち状態。
左足だけずぶ濡れになりました><
それから丸一日近く、ずぶ濡れの左足のまま釣りをしたのですが、さすがに濡れた状態のまま寒風吹きすさぶ中釣りをするのは最悪のコンディションであり。私の目標は正月用の鯛(30㎝オーバー)、皆の努力目標は1人10匹!としていたにも関わらず、クーラーボックスの写真が全員での釣果です。20㎝~25㎝程度の真鯛をメインに、ガシラ、カワハギ等が合計20匹強釣れました。(1人当たりの平均釣果は5匹)
下が自分の釣果です。一匹鯛が見切れていますが、鯛3匹、カワハギ、ガシラ各1匹の合計5匹。小振りとはいえ天然の鯛を釣ったのは多分初めてだと思います。小さい魚体ながらも小気味の良いクイックイックイッという引きはとても気持ち良いものです。出来れば30㎝オーバーの天然鯛を実家に持って帰って、家族で食べたかったんですが、まぁ致し方無し。
午前6時半~11時半位まで釣りを堪能し、いざ港へ戻るという段にて。
当日は風が強かったせいかもしれませんが波が非常に高く、特に港に戻る際はこれまでに経験した事のない高浪で、そこらへんの絶叫マシンより怖い船旅でした。「ひょっとしたら転覆するかも」と密かに死の恐怖と闘っていたのは私だけではないはず、です。友人はUSJのジュラシックパークの最後の波飛沫以上に、したたかに浪を被りびしょぬれになっていました。
そんな友人の姿を見て、恐怖心から解放され思わず笑ってしまったのですが、「人の不幸を笑うなんて最低やな!」って・・・だって面白かったんですもの。自分に至ってはたかだか酒を取る為に左足が一日中びしょ濡れですから。形は違えど真冬にびしょ濡れになったもの同士、笑い合ってもいいやんねぇ。
まぁなんとか無事に帰港し、陸上でも少しフラフラする軽い船酔い状態のまま、加太温泉に立ち寄って暖をとり帰阪後に釣った魚で宴会というお決まりのパターンへ。
前述の足ずぶ濡れ状態のせいか、宴会開始時には軽い風邪の引き始め状態でテンションは低かったのですが、やはりお酒のチカラ。最後は泥酔しない程度にご機嫌に酔っ払って帰宅。ぐっすり眠って、甥っ子から早く実家に帰って来てよーという電話にて、軽く家事を済ませた後、大掃除もしないまま帰郷致しました。
実家での出来事は特筆すべき事はありませんでしたが、甥っ子と約1年以上逢ってなかったせいか、随分と成長したように感じました。まぁ身長も足も同年代の子よりだいぶ大きいみたいで、きっとあっという間に自分の身長に追い付き追い越されるんだろうなと、切なくなった2012年の始まりでした。
2011/11/21 16:31:41
こんにちわ。
すっかり気温も冬めいて参りまして、そろそろコートを着ようか悩む今日この頃です。通勤で行き交う人々の装いを見ている所、女性はコートやマフラーなど重装備になりつつありますが、男性はまだスーツ姿が圧倒的に目立ち、自分もコートを着ようかどうか迷っていますが、最近は折り合いをつけてニットなんぞを中間着としています。
普段から衣装に無頓着ですが、そういう事だけは気になってしまう日本人気質。
さて。
世間は狭いってお題で、何度か日記をアップした記憶があるのですが、つい最近あったネタより。
今、内装設計の調整をしているテナントさんが数件ありまして、そのうちの1店舗の店舗開発担当者さんが、友人の上司だったというお話。
その友人とは社会人1年目から3年半程勤めていた会社の同僚で、学生時代以外の友人で唯一10年以上続いている友人関係。お互いに職場は変わっていて、お互いがどんな仕事を今しているのかなんて特に詳しく語る必要もなかったし、聞く必要もなかったというかまぁそんな感じ。
その友人と半年位連絡を取ってなかったのですが、つい先日ふいにメールが来まして。
「なぁ、カタオカって今、主任なん?」という内容が届きました。
「そやけど、いきなり何なん?」みたいに疑問に疑問で返答をすると、「上司の机の上にカタオカの名刺があってん。」との事。
その時点でなんとなく、取引先の方の顔が浮かんで、「ひょっとして㈱○○に勤めてる?」と尋ねたら、見事正解でした。お互いに「そんな仕事してるなんて知らんかったわー。」と話ながら、改めて今自分がどんな仕事してるのかを教え合ったのでした。
+++++++++++++++
引き続いて、似たようなお話。
同じく出店に関して調整中のテナントが、内装施工業者を連れて来た時の事。名刺交換をして、なんか見覚えのある名前だなぁと思って、住所を見たら兵庫県姫路市○○○と地元の業者さんでした。
うちの方は結構な田舎なので、あまりそういう内装施工業者とかが会社を構えている事はないので、名前は今でも鮮明に覚えていまして。名刺交換した方に尋ねてみたら、同級生が専務で働いているとの事。
担当者も年齢は六つ下でしたが、地元の中学に通っていたらしくまさか地元の後輩と仕事上で出会うなんて予想だにしていませんでした。もう地元を離れて17年目になりますので、地元との繋がりが家族以外には薄れてしまってますから、こういう出会いは嬉しいもんだとこの仕事やってて良かったなと思いました。
++++++++++++++++
最後に、先日友人の結婚式の2次会に招待して頂き、参列してきました。
友人といっても、貸自転車屋時代にふらっとお店にやってきたオトコマエの好青年(彼との出会いを描いたブログはこちら)です。この日記の後から、彼はいつも仕事帰りにお店に立ち寄ってきて、まだ大阪に友達の居ない状態で、仕事の愚痴やら生活の不安やら色々と話を聞いていく内に仲良くなり、6つも歳は離れていますが今では大切な友達です。
まぁ上記のような間柄なので、結婚式&披露宴は職場の同僚がメインで行われた模様(新郎新婦共に、同じ大きな病院の看護師さん)で、2次会から参加の我々はかなりのアウェー状態でした。結構奥まった席に座っていたのですが、同様にアウェー感丸出しの男性3人組が座る席を探していたので、「良かったらどうぞ。」と声を掛けてみました。
ぱっと見は新郎の地元の友達かなぁという印象で、そこはかとなく話掛けてみるとその男性達に「どっかで見たことあるんですよねーひょっとして自転車屋のお兄さんですか?」と言われました。
自分もその言葉を頼りに記憶を辿っていくと、その男性3人組は新郎と共に大阪観光の為に自転車を借りてくれた、新郎の広島の病院勤務時代の同僚(同じく看護師)だったようです。
それからは「あの時は本当に色々良くしてくれて有難うございました。」とか「あの時めっちゃ楽しかったんですよ。」とか嬉しい言葉ばかり頂きました。その一つ一つの言葉は多少大げさな表現はあるかもしれませんが、心から言ってくれている言葉なんだと思えました。
「正直、自分ら以外(2次会会場に居る人)大阪人なんで、勝手がわからんで困ってました。」と心境を吐露され、それはウチらも同じだったんで意気投合し、その後3次会も一緒に行きたかったんですが、次の日に仕事があるんでとお別れをしました。
あの時、サラリーマン辞めてお店始めてなかったら、友人とも出会えてなかっただろうし、友人の友人達にも大阪の楽しい思い出作りのお手伝いを出来てなかったんだと思ったら、あの時選んだ道も間違ってなかったなぁと思い直します。
人生のひとつひとつの出来事に、時折後悔する事もあるけど、概ね自分の人生はこれで良かったんだろうし、これからも良い人生を歩むんだろうなと思えます。
すっかり気温も冬めいて参りまして、そろそろコートを着ようか悩む今日この頃です。通勤で行き交う人々の装いを見ている所、女性はコートやマフラーなど重装備になりつつありますが、男性はまだスーツ姿が圧倒的に目立ち、自分もコートを着ようかどうか迷っていますが、最近は折り合いをつけてニットなんぞを中間着としています。
普段から衣装に無頓着ですが、そういう事だけは気になってしまう日本人気質。
さて。
世間は狭いってお題で、何度か日記をアップした記憶があるのですが、つい最近あったネタより。
今、内装設計の調整をしているテナントさんが数件ありまして、そのうちの1店舗の店舗開発担当者さんが、友人の上司だったというお話。
その友人とは社会人1年目から3年半程勤めていた会社の同僚で、学生時代以外の友人で唯一10年以上続いている友人関係。お互いに職場は変わっていて、お互いがどんな仕事を今しているのかなんて特に詳しく語る必要もなかったし、聞く必要もなかったというかまぁそんな感じ。
その友人と半年位連絡を取ってなかったのですが、つい先日ふいにメールが来まして。
「なぁ、カタオカって今、主任なん?」という内容が届きました。
「そやけど、いきなり何なん?」みたいに疑問に疑問で返答をすると、「上司の机の上にカタオカの名刺があってん。」との事。
その時点でなんとなく、取引先の方の顔が浮かんで、「ひょっとして㈱○○に勤めてる?」と尋ねたら、見事正解でした。お互いに「そんな仕事してるなんて知らんかったわー。」と話ながら、改めて今自分がどんな仕事してるのかを教え合ったのでした。
+++++++++++++++
引き続いて、似たようなお話。
同じく出店に関して調整中のテナントが、内装施工業者を連れて来た時の事。名刺交換をして、なんか見覚えのある名前だなぁと思って、住所を見たら兵庫県姫路市○○○と地元の業者さんでした。
うちの方は結構な田舎なので、あまりそういう内装施工業者とかが会社を構えている事はないので、名前は今でも鮮明に覚えていまして。名刺交換した方に尋ねてみたら、同級生が専務で働いているとの事。
担当者も年齢は六つ下でしたが、地元の中学に通っていたらしくまさか地元の後輩と仕事上で出会うなんて予想だにしていませんでした。もう地元を離れて17年目になりますので、地元との繋がりが家族以外には薄れてしまってますから、こういう出会いは嬉しいもんだとこの仕事やってて良かったなと思いました。
++++++++++++++++
最後に、先日友人の結婚式の2次会に招待して頂き、参列してきました。
友人といっても、貸自転車屋時代にふらっとお店にやってきたオトコマエの好青年(彼との出会いを描いたブログはこちら)です。この日記の後から、彼はいつも仕事帰りにお店に立ち寄ってきて、まだ大阪に友達の居ない状態で、仕事の愚痴やら生活の不安やら色々と話を聞いていく内に仲良くなり、6つも歳は離れていますが今では大切な友達です。
まぁ上記のような間柄なので、結婚式&披露宴は職場の同僚がメインで行われた模様(新郎新婦共に、同じ大きな病院の看護師さん)で、2次会から参加の我々はかなりのアウェー状態でした。結構奥まった席に座っていたのですが、同様にアウェー感丸出しの男性3人組が座る席を探していたので、「良かったらどうぞ。」と声を掛けてみました。
ぱっと見は新郎の地元の友達かなぁという印象で、そこはかとなく話掛けてみるとその男性達に「どっかで見たことあるんですよねーひょっとして自転車屋のお兄さんですか?」と言われました。
自分もその言葉を頼りに記憶を辿っていくと、その男性3人組は新郎と共に大阪観光の為に自転車を借りてくれた、新郎の広島の病院勤務時代の同僚(同じく看護師)だったようです。
それからは「あの時は本当に色々良くしてくれて有難うございました。」とか「あの時めっちゃ楽しかったんですよ。」とか嬉しい言葉ばかり頂きました。その一つ一つの言葉は多少大げさな表現はあるかもしれませんが、心から言ってくれている言葉なんだと思えました。
「正直、自分ら以外(2次会会場に居る人)大阪人なんで、勝手がわからんで困ってました。」と心境を吐露され、それはウチらも同じだったんで意気投合し、その後3次会も一緒に行きたかったんですが、次の日に仕事があるんでとお別れをしました。
あの時、サラリーマン辞めてお店始めてなかったら、友人とも出会えてなかっただろうし、友人の友人達にも大阪の楽しい思い出作りのお手伝いを出来てなかったんだと思ったら、あの時選んだ道も間違ってなかったなぁと思い直します。
人生のひとつひとつの出来事に、時折後悔する事もあるけど、概ね自分の人生はこれで良かったんだろうし、これからも良い人生を歩むんだろうなと思えます。
2011/11/07 13:57:04
こんにちわ。
11月に入り1週間が経過し、そろそろ年末に向けた調整事等を行っていかなければなりません。ほんと月日が経つのが早い。
仕事の方は一段落したものの、新たな店舗の内装工事着工に向けた調整があり、あまりゆっくりもしていられませんが、ちょっと気が抜けた状態。いかんいかん。
さて、お題の話。11月3日に和歌山県みなべ町へ釣りに行って参りました。水曜日の夜大阪発で、深夜未明に現地到着し波止場で釣りをしながらお酒を飲む。なんとも贅沢な時間です。イカ釣り船と思しき灯りを煌々と灯した漁船がちらほらと、沖へ出る準備をしている横で釣り糸を垂れます。
ほどなくして大きなアタリがあったので、リールを巻き上げると26㎝弱のガシラが釣れました。実にお盆以来の手応えで、この瞬間が楽しくて釣りにハマっているといっても過言ではありません。
連れは早々に車の中で寝ている間、釣り竿の手応えをもっと味わいたいと寝ずに釣り糸を垂れましたが、その後はネンブツダイやゴンズイといった雑魚しか釣れず、沖に出る準備に取り掛かりました。
今回の釣りはノマセ釣りといって、本命は青物(ハマチ・メジロ・ブリ・カンパチ)を釣る為に一旦餌となる魚(主にアジ)を釣り、そのまま青物がその餌に掛かるのを待つ釣りです。アジはそこそこ釣れましたが、本命の青物は結果として坊主。友人が頑張って釣ってくれたのが下の写真です。


ハマチ5本とアオリイカ1杯と、他アジ、ガシラ等。
釣りの後は、大阪に戻って釣果を美味しく友人たちと平らげました。特に美味しかったのはハマチのカマ焼きと、アオリイカの刺身。10年来釣りをしていて念願のアオリイカ(自分が釣った訳じゃないけど)は、甘くて歯ごたえが強くて非常に美味でした。
個人的には本命が釣れず残念でしたが、非常に楽しい釣行でした。友人と遊ぶ事って、大人になってからだと「飲み」とかの夜がメインになってしまいがちなので、こうやってお昼楽しむ共通の遊びを共有できる事は非常に有難いなぁと改めて思いました。老人になるまで釣りは続けられますし、このような仲間との遊びも続いて行けばいいなと切に思います。
11月に入り1週間が経過し、そろそろ年末に向けた調整事等を行っていかなければなりません。ほんと月日が経つのが早い。
仕事の方は一段落したものの、新たな店舗の内装工事着工に向けた調整があり、あまりゆっくりもしていられませんが、ちょっと気が抜けた状態。いかんいかん。
さて、お題の話。11月3日に和歌山県みなべ町へ釣りに行って参りました。水曜日の夜大阪発で、深夜未明に現地到着し波止場で釣りをしながらお酒を飲む。なんとも贅沢な時間です。イカ釣り船と思しき灯りを煌々と灯した漁船がちらほらと、沖へ出る準備をしている横で釣り糸を垂れます。
ほどなくして大きなアタリがあったので、リールを巻き上げると26㎝弱のガシラが釣れました。実にお盆以来の手応えで、この瞬間が楽しくて釣りにハマっているといっても過言ではありません。
連れは早々に車の中で寝ている間、釣り竿の手応えをもっと味わいたいと寝ずに釣り糸を垂れましたが、その後はネンブツダイやゴンズイといった雑魚しか釣れず、沖に出る準備に取り掛かりました。
今回の釣りはノマセ釣りといって、本命は青物(ハマチ・メジロ・ブリ・カンパチ)を釣る為に一旦餌となる魚(主にアジ)を釣り、そのまま青物がその餌に掛かるのを待つ釣りです。アジはそこそこ釣れましたが、本命の青物は結果として坊主。友人が頑張って釣ってくれたのが下の写真です。
ハマチ5本とアオリイカ1杯と、他アジ、ガシラ等。
釣りの後は、大阪に戻って釣果を美味しく友人たちと平らげました。特に美味しかったのはハマチのカマ焼きと、アオリイカの刺身。10年来釣りをしていて念願のアオリイカ(自分が釣った訳じゃないけど)は、甘くて歯ごたえが強くて非常に美味でした。
個人的には本命が釣れず残念でしたが、非常に楽しい釣行でした。友人と遊ぶ事って、大人になってからだと「飲み」とかの夜がメインになってしまいがちなので、こうやってお昼楽しむ共通の遊びを共有できる事は非常に有難いなぁと改めて思いました。老人になるまで釣りは続けられますし、このような仲間との遊びも続いて行けばいいなと切に思います。
2011/10/17 15:02:34
こんにちわ。
週末に宅建の試験があったのですが、今年も撃沈。そりゃ今年も相変わらずほぼ事前勉強なしで臨んだから、結果も自ずと同じな訳で・・・。今年は完全に仕事を言い訳に、忙しくて勉強どころじゃなかったと。ってかそもそも勉強するという癖自体が、学生時代から全く無かったのでなかなか机に向かって勉強する気が起きないという生活習慣の改善をしなければ、多分この先も合格はないと思います。
わかっていても改善しない、改善できない悪い癖ですね。
・・・という訳で本題。
先週末の金曜日に広島へ日帰り出張に行って参りました。適度な間隔での出張は、心身ともにリフレッシュ出来る機会となり、非常に有難く思っています。
昼イチからの打合せだったので、少々早く家を出て会社で雑務をし、いざ新大阪へ。だいたい博多方面への新幹線は当日でも指定席が十分にとれる状態だった記憶があるのですが、金曜日はなぜだか希望のダイヤは満席で、自由席も早めに並ばないと座れない程の混雑っぷりでした。
到着予定の1時間前に現地入りし、周辺の商業施設等を視察していたのですが、生憎の雨模様でしたので目的の半分程度で帰還し打合せに臨みました。事前準備がいまいちな資料を携えての打合せで、今回は自分がメインで資料説明と質疑応答をし、少々グダグダになりながらも2時間30分の打合せを乗り切る事が出来ました。
さあ、後は自由時間。このまま大阪に帰るもよし、現地視察を続行するもよし。急ぎの仕事も無かったので、上司と相談した結果「宮島に行こう!」という結論になりました。
上司も私も宮島には上陸した事がなく、本島から厳島神社の鳥居を眺めただけという経験しかなかったので、広電に揺られていざ宮島口へと意気揚々に向かいました。外はこれでもかという位の土砂降りで、きっと自分一人だったら面倒くさくて途中で帰っていたと思います。ましてや観光客もまばらな夕方4時過ぎ。
それでもフェリーに乗って、どんどんと大鳥居に近付いて行くに連れて、観光気分が昂る高揚感。
豪雨の中、スーツ姿のおっさん2人で観光地の真っただ中にいるという違和感。
勤務時間中なのに、焼き牡蠣と牡蠣フライで缶ビール2本空ける不謹慎。

スーツも鞄も靴も、それぞれが等しくずぶ濡れになりながら、厳島神社に到着。ちょうど干潮の頃合いで、普段は海面に隠れているであろうエリンギにも似た土台とご対面。他にも写メを撮ったのですが、真っ暗でいいのがなかったので、掲載はこれだけにしときます。
海上の回廊を一歩一歩踏みしめながら、日本の建築技術の素晴らしさに改めて感動し、一方ではなぜわざわざこんな場所に建てたんだろうという疑問も抱きつつ、世界遺産を堪能して参りました。平日&雨天&夕方という観光には不向きな要素が相俟って、非常にゆったりと見学が出来たのは逆に有難かったです。だって我々サボリーマンですもの・・・。
夕方5時には閉まり出す土産物屋街に別れを告げ、フェリーに乗って宮島口まで戻り、駅前の老舗「あなごめし屋」で新幹線車内での夕食を買い、宮島ビールとカープチューハイを飲みながらの帰阪。

次は広島市内で一杯飲んで、新幹線の終電で帰阪しようと先輩と約束しました。
週末に宅建の試験があったのですが、今年も撃沈。そりゃ今年も相変わらずほぼ事前勉強なしで臨んだから、結果も自ずと同じな訳で・・・。今年は完全に仕事を言い訳に、忙しくて勉強どころじゃなかったと。ってかそもそも勉強するという癖自体が、学生時代から全く無かったのでなかなか机に向かって勉強する気が起きないという生活習慣の改善をしなければ、多分この先も合格はないと思います。
わかっていても改善しない、改善できない悪い癖ですね。
・・・という訳で本題。
先週末の金曜日に広島へ日帰り出張に行って参りました。適度な間隔での出張は、心身ともにリフレッシュ出来る機会となり、非常に有難く思っています。
昼イチからの打合せだったので、少々早く家を出て会社で雑務をし、いざ新大阪へ。だいたい博多方面への新幹線は当日でも指定席が十分にとれる状態だった記憶があるのですが、金曜日はなぜだか希望のダイヤは満席で、自由席も早めに並ばないと座れない程の混雑っぷりでした。
到着予定の1時間前に現地入りし、周辺の商業施設等を視察していたのですが、生憎の雨模様でしたので目的の半分程度で帰還し打合せに臨みました。事前準備がいまいちな資料を携えての打合せで、今回は自分がメインで資料説明と質疑応答をし、少々グダグダになりながらも2時間30分の打合せを乗り切る事が出来ました。
さあ、後は自由時間。このまま大阪に帰るもよし、現地視察を続行するもよし。急ぎの仕事も無かったので、上司と相談した結果「宮島に行こう!」という結論になりました。
上司も私も宮島には上陸した事がなく、本島から厳島神社の鳥居を眺めただけという経験しかなかったので、広電に揺られていざ宮島口へと意気揚々に向かいました。外はこれでもかという位の土砂降りで、きっと自分一人だったら面倒くさくて途中で帰っていたと思います。ましてや観光客もまばらな夕方4時過ぎ。
それでもフェリーに乗って、どんどんと大鳥居に近付いて行くに連れて、観光気分が昂る高揚感。
豪雨の中、スーツ姿のおっさん2人で観光地の真っただ中にいるという違和感。
勤務時間中なのに、焼き牡蠣と牡蠣フライで缶ビール2本空ける不謹慎。
スーツも鞄も靴も、それぞれが等しくずぶ濡れになりながら、厳島神社に到着。ちょうど干潮の頃合いで、普段は海面に隠れているであろうエリンギにも似た土台とご対面。他にも写メを撮ったのですが、真っ暗でいいのがなかったので、掲載はこれだけにしときます。
海上の回廊を一歩一歩踏みしめながら、日本の建築技術の素晴らしさに改めて感動し、一方ではなぜわざわざこんな場所に建てたんだろうという疑問も抱きつつ、世界遺産を堪能して参りました。平日&雨天&夕方という観光には不向きな要素が相俟って、非常にゆったりと見学が出来たのは逆に有難かったです。だって我々サボリーマンですもの・・・。
夕方5時には閉まり出す土産物屋街に別れを告げ、フェリーに乗って宮島口まで戻り、駅前の老舗「あなごめし屋」で新幹線車内での夕食を買い、宮島ビールとカープチューハイを飲みながらの帰阪。
次は広島市内で一杯飲んで、新幹線の終電で帰阪しようと先輩と約束しました。
2011/10/12 10:10:11
おはようございます。
仕事の方がようやく一段落して参りまして、先週末は久しぶりに3連休まるっと休むことが出来ました。盆休みには帰省出来なかったので、暫くまた連休もないため実家で休みを過ごすことにしました。
連休初日は、休みの日にしては早く起きたのですが、溜まっている洗濯物や食器の片付け、お風呂掃除と久しぶりの湯張りをして、ゆっくりと家事をしていたらもう夕方でした。
いつも実家に帰るたびに、まぁ特に何もしないでゆっくり過ごすのですが、帰るたびに思うのが「家族ってええなぁ。」と。リビングでただテレビを見てるだけで、そんな感覚が沸いてしまいます。
気がつけば、1人暮らし歴=実家歴になってしまいまして、実家で過ごした年月と1人で生活している年月がほぼ同じなんです。幼少期の記憶もどんどんなくなりつつあるので、人生の大半が1人で生活しているような感覚があるので、やはり家族と緩やかな時間を過ごすというのは、特に何をする訳ではないけれども私にとっては重要な意味があるんだなと思いました。
あとそれとなーくですが、結婚しろよ的なプレッシャーを軽く浴びたので、まぁ仕事も一段落したしまた出会いの場へと積極的に赴く気持ち等といった精神的な余裕が出来つつあるので、プライベートも充実させていきたいと思います。
上半期は結構プライベート充実してたんやけどなぁ・・・。振り返るにはまだ早いけど、2011年は波乱万丈でした。ってかここ数年はだいたい波乱万丈ですわ。それもこれも20代であらゆる試練から逃げ続けてきた結果なんでしょうね。
【追記】
10日 貸し自転車屋さんの8周年記念
11日 甥っこの8歳の誕生日
おめでとうございます!
仕事の方がようやく一段落して参りまして、先週末は久しぶりに3連休まるっと休むことが出来ました。盆休みには帰省出来なかったので、暫くまた連休もないため実家で休みを過ごすことにしました。
連休初日は、休みの日にしては早く起きたのですが、溜まっている洗濯物や食器の片付け、お風呂掃除と久しぶりの湯張りをして、ゆっくりと家事をしていたらもう夕方でした。
いつも実家に帰るたびに、まぁ特に何もしないでゆっくり過ごすのですが、帰るたびに思うのが「家族ってええなぁ。」と。リビングでただテレビを見てるだけで、そんな感覚が沸いてしまいます。
気がつけば、1人暮らし歴=実家歴になってしまいまして、実家で過ごした年月と1人で生活している年月がほぼ同じなんです。幼少期の記憶もどんどんなくなりつつあるので、人生の大半が1人で生活しているような感覚があるので、やはり家族と緩やかな時間を過ごすというのは、特に何をする訳ではないけれども私にとっては重要な意味があるんだなと思いました。
あとそれとなーくですが、結婚しろよ的なプレッシャーを軽く浴びたので、まぁ仕事も一段落したしまた出会いの場へと積極的に赴く気持ち等といった精神的な余裕が出来つつあるので、プライベートも充実させていきたいと思います。
上半期は結構プライベート充実してたんやけどなぁ・・・。振り返るにはまだ早いけど、2011年は波乱万丈でした。ってかここ数年はだいたい波乱万丈ですわ。それもこれも20代であらゆる試練から逃げ続けてきた結果なんでしょうね。
【追記】
10日 貸し自転車屋さんの8周年記念
11日 甥っこの8歳の誕生日
おめでとうございます!
2011/09/19 10:52:15
おはようございます。
本日は敬老の日ですが、ここしばらくは休みなしで出勤中です。
ようやく秋らしい雰囲気に戻りつつありますね、もうすぐ10月だというのに暑すぎるわー。
さて。
先日の勢いに任せた「昔話」の続きを書きます。恋愛話って正直、仲の良い友達にすらしない主義で、ましてや家族になんて一切話した事ありませんでしたので、冷静になって考えると気恥ずかしくなってしまいまして。
+++++++++++++++++++++
憧れの先輩とは全く接点のないまま2年になってしまった、と書いたのですが実際は、陸上部の先輩とその彼女は幼馴染だったようで、先輩を介して何度かお話をした程度はあったと思います。
2年になり2学期目を迎えて、異性と初めてお付き合いをする事になりました。その人は小学5年の時のバレンタインデーに告白されて、その時は他に好きな人が居るからとお断りをした方でした。2年経ってもまだ好きで居てくれた事が嬉しかったのと、周囲でも徐々にカップルが増えてきてお付き合いをするという事が恥しい事ではなくなりつつあった風潮が背中を押してくれました。(中学1年の5月に別の同級生に告白された時は、まだ同学年では付き合っている人が居なかったので、そういった関係が恥しいと思いお断りをした純情な田舎の少年でした。)
初めて彼氏彼女の関係になったからといって、特に生活自体は何も変わりませんでした。校内でおおっぴらに付き合っているというのがバレたくなかった(今思うと何故か分からないけど)ので、あまり会話も出来なかったし、一緒に帰るというのも部活動が異なる為、週1回あるかないか位で、休日も部活動だったし・・・と本当に付き合っているのかすら分からない状態でした。
そんな中、憧れの先輩との距離が急に近づいてきたのです。そのキッカケは学級委員長になり、生徒会の月一会合に参加するようになってからでした。
当時、男子の頭髪は「丸刈り」が市内の公立学校の校則に定められておったのですが、ようやく校則改正の波が訪れており、男子の頭髪に関しての校則改正が主な議題でした。私は丸刈りがとても嫌で、それだけで中学に行きたくないと思っていたので、積極的に校則改正について意見を発言していた記憶があります。
その級長会の主催である生徒会に、憧れの先輩の友達が居て、その友達を通じても話をするようになった事で、距離が近づいていったのです。それ以降、事ある毎に話しかけられていましたが、憧れの先輩とだけは積極的に話しかける事が出来なくて、向こうから話しかけてくる内容に、少し下を向きながら恥しそうに頷くだけだったと思います。
それからというもの、毎日の登下校時に先輩達から挨拶をされるようになり、部活動で校庭外周をランニングしている時に、教室から大声で「頑張って!」と言われたり、先輩グループに呼び出しされて会話したりと、恥しい思いをしながらも嬉しくて毎日が楽しくて仕方がなかったです。
当時の私は異性から、なぜかしら「可愛い」と言われる事があり、特に先輩グループからは教室の中から、外にいる私を見つけるといつも「まこちゃんー」と大声で呼ばれ、それが恥しくてモジモジしていると更に追い打ちを掛けられるという始末。ですから男として見られてたのではなく、小動物扱いだったと思いますが、私はそれを勘違いして先輩が私を「好き」なのだと前向きに受け止めていました。
・・・とまあ書いていても改めて思い出すのは、初めて付き合った彼女が居るにも関わらず、先輩への思いが日に日に増していく状況で、彼女に申し訳ないやら、先輩への思いをどうすればいいのやら、複雑な心境でした。
そんな感じで日々は過ぎ、バレンタインデーにはチョコを彼女と先輩から頂き、その上タオルも貰ったのだと思います。その時に第二ボタンを頂戴と言われ、喜んで渡しました。それからは、先輩は高校受験と卒業を控えていたので、それ以上はもう進展がないなぁと諦めていました。
その後にちゃんと話が出来たのは先輩が高校受験の結果を報告しに来た時でした。そして卒業式を迎えます。
もうこれで逢う事はないんだなぁと思うと、とてもやりきれない気持ちになりました。その日は学校で二、三言葉を交わしただけで肩を落として帰宅したのですが、どうしても言いたかった一言がいいたくなって、電話帳を調べて先輩の家に電話を掛けることにしました。今思えば当時の意気地なしの自分の中に、そんな勇気があった事自体に驚いています。
呼び出し音が鳴り、相手が出る前に切ってしまいそうな衝動に駆られつつ、このまま繋がらないで居て欲しいというそんな保身の気持ちと戦いながら、電話が繋がるのを待っていました。電話に出たのは本人ではなく、母親だったので、どぎまぎしながら先輩に繋いでもらいました。
いざ先輩に代わっても、言いたいことが中々言えずに居ましたが、勇気を振り絞ってずっと好きだった旨を伝えました。先輩は泣きながら会えなくなるのは寂しいと言ってくれましたが、かいつまんで言うと「気持ちには応えられない」でした。取り敢えず人生で初めて自分の気持ちを素直に表現出来た事が出来た事は良かったと思います。
まぁ電話を切った後、当時大好きだったB'zのアルバムを聴きながら男泣きしました。これでもかって位に。
次の日以降は当時付き合っていた彼女とも、特に進展するでもなく2回デートに行った位で普通の同級生に戻ってしまいました。彼女とは高校も同じになったのですが、同級生のそれ以上でもそれ以下でもなくの関係でした。
後日談としては、先輩の卒業後に3回程逢う機会がありました。
1回目は私の中学3年時の体育大会。私の為ではないと思いますが、先輩が応援に来てくれました。OBOGが態々体育大会程度に応援に来るなんて思いもしなかったのですが、その時に一緒に写真を撮ろうと誘われ、いきなり腕を組まれてビックリしたのと同時に、周りの目が気になってかなり焦った表情だったと思いますが、その写真が私に送られてくる事はありませんでした(苦笑)
2回目は高校に入ってバドミントン部に所属していたのですが、その時の市大会で。先輩はバドミントン部ではありませんでしたが、友達の応援に来てたらしく本当に偶然に出会いました。どんな会話をしたか記憶にはありませんので、大した会話はしていないと思います。
3回目は大学入学後すぐ。どうやら同じ大学に進学していたようでした。授業が始まる前に友達と談笑していたら、教室内に女性二人組がやってきて、クラブの勧誘活動を行っていました。大学では男女比率が9:1程度だったので、女性は結構珍しかったのですが、大学の部活動なんぞやる気が全くなかったので、あまりそちらを見ないようにしてたのです。
色んなグループに声を掛けているその二人組は、どんどんと私たちのグループに近づいてきました。聞き覚えのある声(元トゥナイトのしずかみたいな声でしたw)だったので、まさかと思いその二人組をまじまじと見てみたら、その先輩だった事に驚きました。しかしながら、あまりに驚き過ぎて彼女が私達のグループに声を掛けて来た時に、咄嗟に顔を下に向けてしまいそこから顔を上げることは出来ませんでした。
ちなみにボクシング部の勧誘だったので、友人たちも全く興味を示さず、彼女たちはそそくさと他のグループに声掛けに行ってしまったので、私が気付かれたのかどうかは定かではありませんが、以降大学でもほとんど顔を見かける事もなく、声を掛ける機会もないままそれが先輩との最後の接点となりました。
こうやって文章にすると、たいした盛り上がりもないのですが、先輩の事は大学卒業する辺りまではずっと好きで居たと思います。当時はこれでもかと言う位に気持ちが盛り上がったり沈んだり、今でも思い出せば甘酸っぱくてほろ苦い思い出です。初めての大失恋と、以降の恋愛に対するトラウマというか、自分の気持ちを表現する事に臆病になったキッカケというか。
タオル自体に今までずっと愛着がある訳でもありませんでした。そりゃ最初で最後の先輩からのプレゼントでしたので、高校を卒業する位までは部活動の地区大会等といった大事な場面には必ずそのタオルを持って行くようにしてたりしてましたが、以降は普通のタオルと同様に使用していたのです。
それでもまだタオルがくたびれる事なく、未だに現役選手なのは意識していなくてもそのタオルを大事に扱っている証拠なのかもしれません。それだけ思い出の詰まった身の回りの物品なんて、いまやそのタオル位しか残っていませんから・・・。
本日は敬老の日ですが、ここしばらくは休みなしで出勤中です。
ようやく秋らしい雰囲気に戻りつつありますね、もうすぐ10月だというのに暑すぎるわー。
さて。
先日の勢いに任せた「昔話」の続きを書きます。恋愛話って正直、仲の良い友達にすらしない主義で、ましてや家族になんて一切話した事ありませんでしたので、冷静になって考えると気恥ずかしくなってしまいまして。
+++++++++++++++++++++
憧れの先輩とは全く接点のないまま2年になってしまった、と書いたのですが実際は、陸上部の先輩とその彼女は幼馴染だったようで、先輩を介して何度かお話をした程度はあったと思います。
2年になり2学期目を迎えて、異性と初めてお付き合いをする事になりました。その人は小学5年の時のバレンタインデーに告白されて、その時は他に好きな人が居るからとお断りをした方でした。2年経ってもまだ好きで居てくれた事が嬉しかったのと、周囲でも徐々にカップルが増えてきてお付き合いをするという事が恥しい事ではなくなりつつあった風潮が背中を押してくれました。(中学1年の5月に別の同級生に告白された時は、まだ同学年では付き合っている人が居なかったので、そういった関係が恥しいと思いお断りをした純情な田舎の少年でした。)
初めて彼氏彼女の関係になったからといって、特に生活自体は何も変わりませんでした。校内でおおっぴらに付き合っているというのがバレたくなかった(今思うと何故か分からないけど)ので、あまり会話も出来なかったし、一緒に帰るというのも部活動が異なる為、週1回あるかないか位で、休日も部活動だったし・・・と本当に付き合っているのかすら分からない状態でした。
そんな中、憧れの先輩との距離が急に近づいてきたのです。そのキッカケは学級委員長になり、生徒会の月一会合に参加するようになってからでした。
当時、男子の頭髪は「丸刈り」が市内の公立学校の校則に定められておったのですが、ようやく校則改正の波が訪れており、男子の頭髪に関しての校則改正が主な議題でした。私は丸刈りがとても嫌で、それだけで中学に行きたくないと思っていたので、積極的に校則改正について意見を発言していた記憶があります。
その級長会の主催である生徒会に、憧れの先輩の友達が居て、その友達を通じても話をするようになった事で、距離が近づいていったのです。それ以降、事ある毎に話しかけられていましたが、憧れの先輩とだけは積極的に話しかける事が出来なくて、向こうから話しかけてくる内容に、少し下を向きながら恥しそうに頷くだけだったと思います。
それからというもの、毎日の登下校時に先輩達から挨拶をされるようになり、部活動で校庭外周をランニングしている時に、教室から大声で「頑張って!」と言われたり、先輩グループに呼び出しされて会話したりと、恥しい思いをしながらも嬉しくて毎日が楽しくて仕方がなかったです。
当時の私は異性から、なぜかしら「可愛い」と言われる事があり、特に先輩グループからは教室の中から、外にいる私を見つけるといつも「まこちゃんー」と大声で呼ばれ、それが恥しくてモジモジしていると更に追い打ちを掛けられるという始末。ですから男として見られてたのではなく、小動物扱いだったと思いますが、私はそれを勘違いして先輩が私を「好き」なのだと前向きに受け止めていました。
・・・とまあ書いていても改めて思い出すのは、初めて付き合った彼女が居るにも関わらず、先輩への思いが日に日に増していく状況で、彼女に申し訳ないやら、先輩への思いをどうすればいいのやら、複雑な心境でした。
そんな感じで日々は過ぎ、バレンタインデーにはチョコを彼女と先輩から頂き、その上タオルも貰ったのだと思います。その時に第二ボタンを頂戴と言われ、喜んで渡しました。それからは、先輩は高校受験と卒業を控えていたので、それ以上はもう進展がないなぁと諦めていました。
その後にちゃんと話が出来たのは先輩が高校受験の結果を報告しに来た時でした。そして卒業式を迎えます。
もうこれで逢う事はないんだなぁと思うと、とてもやりきれない気持ちになりました。その日は学校で二、三言葉を交わしただけで肩を落として帰宅したのですが、どうしても言いたかった一言がいいたくなって、電話帳を調べて先輩の家に電話を掛けることにしました。今思えば当時の意気地なしの自分の中に、そんな勇気があった事自体に驚いています。
呼び出し音が鳴り、相手が出る前に切ってしまいそうな衝動に駆られつつ、このまま繋がらないで居て欲しいというそんな保身の気持ちと戦いながら、電話が繋がるのを待っていました。電話に出たのは本人ではなく、母親だったので、どぎまぎしながら先輩に繋いでもらいました。
いざ先輩に代わっても、言いたいことが中々言えずに居ましたが、勇気を振り絞ってずっと好きだった旨を伝えました。先輩は泣きながら会えなくなるのは寂しいと言ってくれましたが、かいつまんで言うと「気持ちには応えられない」でした。取り敢えず人生で初めて自分の気持ちを素直に表現出来た事が出来た事は良かったと思います。
まぁ電話を切った後、当時大好きだったB'zのアルバムを聴きながら男泣きしました。これでもかって位に。
次の日以降は当時付き合っていた彼女とも、特に進展するでもなく2回デートに行った位で普通の同級生に戻ってしまいました。彼女とは高校も同じになったのですが、同級生のそれ以上でもそれ以下でもなくの関係でした。
後日談としては、先輩の卒業後に3回程逢う機会がありました。
1回目は私の中学3年時の体育大会。私の為ではないと思いますが、先輩が応援に来てくれました。OBOGが態々体育大会程度に応援に来るなんて思いもしなかったのですが、その時に一緒に写真を撮ろうと誘われ、いきなり腕を組まれてビックリしたのと同時に、周りの目が気になってかなり焦った表情だったと思いますが、その写真が私に送られてくる事はありませんでした(苦笑)
2回目は高校に入ってバドミントン部に所属していたのですが、その時の市大会で。先輩はバドミントン部ではありませんでしたが、友達の応援に来てたらしく本当に偶然に出会いました。どんな会話をしたか記憶にはありませんので、大した会話はしていないと思います。
3回目は大学入学後すぐ。どうやら同じ大学に進学していたようでした。授業が始まる前に友達と談笑していたら、教室内に女性二人組がやってきて、クラブの勧誘活動を行っていました。大学では男女比率が9:1程度だったので、女性は結構珍しかったのですが、大学の部活動なんぞやる気が全くなかったので、あまりそちらを見ないようにしてたのです。
色んなグループに声を掛けているその二人組は、どんどんと私たちのグループに近づいてきました。聞き覚えのある声(元トゥナイトのしずかみたいな声でしたw)だったので、まさかと思いその二人組をまじまじと見てみたら、その先輩だった事に驚きました。しかしながら、あまりに驚き過ぎて彼女が私達のグループに声を掛けて来た時に、咄嗟に顔を下に向けてしまいそこから顔を上げることは出来ませんでした。
ちなみにボクシング部の勧誘だったので、友人たちも全く興味を示さず、彼女たちはそそくさと他のグループに声掛けに行ってしまったので、私が気付かれたのかどうかは定かではありませんが、以降大学でもほとんど顔を見かける事もなく、声を掛ける機会もないままそれが先輩との最後の接点となりました。
こうやって文章にすると、たいした盛り上がりもないのですが、先輩の事は大学卒業する辺りまではずっと好きで居たと思います。当時はこれでもかと言う位に気持ちが盛り上がったり沈んだり、今でも思い出せば甘酸っぱくてほろ苦い思い出です。初めての大失恋と、以降の恋愛に対するトラウマというか、自分の気持ちを表現する事に臆病になったキッカケというか。
タオル自体に今までずっと愛着がある訳でもありませんでした。そりゃ最初で最後の先輩からのプレゼントでしたので、高校を卒業する位までは部活動の地区大会等といった大事な場面には必ずそのタオルを持って行くようにしてたりしてましたが、以降は普通のタオルと同様に使用していたのです。
それでもまだタオルがくたびれる事なく、未だに現役選手なのは意識していなくてもそのタオルを大事に扱っている証拠なのかもしれません。それだけ思い出の詰まった身の回りの物品なんて、いまやそのタオル位しか残っていませんから・・・。
2011/09/15 18:44:01
こんばんわ。
最近は朝早くから夜遅くまで仕事ばかりで、ブログ更新にまで頭が回ってませんでした。多分月末までは、日曜も休みなしで、仕事のペースです。はぁ・・・。
そんな毎日なので、さして書くネタもないのですが、昨日洗濯物を干している時にふと気づいてしまった懐かしい記憶がありまして、せっかくなのでブログにこの思い出をしたためておこうと思います。長文になりますので、お暇な方だけお読みください。
まぁタイトル通りのお話なのですが、昨日なにげに愛用しているタオルを干しながら、「あれ、このタオル随分長い間使ってるのに、全然ボロボロになってないな・・・。」と。独身歴の長いライフスタイル上、タオル自体を使う機会も、それほどないのもあるのですが、タオルなんて消費財だし安物でいいやと、だいたい数年も使えばゴミ箱行きってそんな価値観で生きてる中で、件のタオルは随分長い付き合いだなと、ふと思ってしまいまして。
しばしの間、そのタオルとの出会いについて振り返ってみたら、記憶の中では中学3年生の時に、当時大好きだった先輩から貰った物のようです。しかしどんなタイミングでその「プレゼント」を貰ったのかは、正直覚えていません。私の誕生日だったか、はたまた先輩の卒業式の日だったか、もしくは特になにもない日だったか・・・曖昧です。
ですが、タオルの送り主は今でも覚えています。中学生になって、違う小学校の生徒と同じ学び舎になり、小学生の時より少し世界が広がったなぁと感じてた田舎の少年時代。小学校の時に陸上部に所属していた事がきっかけ、というよりは他にやりたい部活動が無かったので、まぁ成り行きで中学校でも陸上部に所属しました。
当時の私は、特段足も速かった訳でもなく、身長も当時は140㎝台とちんちくりんでした。
そんな中で、一学年上の陸上部の先輩は、背も高く足も速くて、たくましくて・・・といった先輩方に囲まれて、いつか自分もこの人たちのようになりたいと思いつつ、一緒に部活動が出来る喜びを感じていました。まぁ思い出とは綺麗なもので、今振り返れば上記のようにも書くことが出来ますが、小学生時代は学年の区別なく年齢の上下隔てなく一緒に同じ目線で遊んでたのに、いざ中学生になるや、一学年違うだけで主人と使用人のような、そんな上下関係になってしまう事への驚きと、そんなしきたりに辛いと思ってた青春時代です。
一つの運動場の中で、様々な部活動が行われる中、毎日毎日グラウンドを全力疾走し、ヘトヘトになりながらも、1人とても綺麗な女性が居る事に気が付きました。同じ小学校の出身なら、1・2学年違っていてもだいたい顔に見覚えがあったので、その人は他校出身の1学年上の先輩だったので、全く知らない存在でした。
いつしか淡い憧れを抱くようになったのですが、その人とは全く接点のないまま、2年生になりました。
・・・なんか書いてたら恥しくなってきたので、また気が向いたら書きます。
最近は朝早くから夜遅くまで仕事ばかりで、ブログ更新にまで頭が回ってませんでした。多分月末までは、日曜も休みなしで、仕事のペースです。はぁ・・・。
そんな毎日なので、さして書くネタもないのですが、昨日洗濯物を干している時にふと気づいてしまった懐かしい記憶がありまして、せっかくなのでブログにこの思い出をしたためておこうと思います。長文になりますので、お暇な方だけお読みください。
まぁタイトル通りのお話なのですが、昨日なにげに愛用しているタオルを干しながら、「あれ、このタオル随分長い間使ってるのに、全然ボロボロになってないな・・・。」と。独身歴の長いライフスタイル上、タオル自体を使う機会も、それほどないのもあるのですが、タオルなんて消費財だし安物でいいやと、だいたい数年も使えばゴミ箱行きってそんな価値観で生きてる中で、件のタオルは随分長い付き合いだなと、ふと思ってしまいまして。
しばしの間、そのタオルとの出会いについて振り返ってみたら、記憶の中では中学3年生の時に、当時大好きだった先輩から貰った物のようです。しかしどんなタイミングでその「プレゼント」を貰ったのかは、正直覚えていません。私の誕生日だったか、はたまた先輩の卒業式の日だったか、もしくは特になにもない日だったか・・・曖昧です。
ですが、タオルの送り主は今でも覚えています。中学生になって、違う小学校の生徒と同じ学び舎になり、小学生の時より少し世界が広がったなぁと感じてた田舎の少年時代。小学校の時に陸上部に所属していた事がきっかけ、というよりは他にやりたい部活動が無かったので、まぁ成り行きで中学校でも陸上部に所属しました。
当時の私は、特段足も速かった訳でもなく、身長も当時は140㎝台とちんちくりんでした。
そんな中で、一学年上の陸上部の先輩は、背も高く足も速くて、たくましくて・・・といった先輩方に囲まれて、いつか自分もこの人たちのようになりたいと思いつつ、一緒に部活動が出来る喜びを感じていました。まぁ思い出とは綺麗なもので、今振り返れば上記のようにも書くことが出来ますが、小学生時代は学年の区別なく年齢の上下隔てなく一緒に同じ目線で遊んでたのに、いざ中学生になるや、一学年違うだけで主人と使用人のような、そんな上下関係になってしまう事への驚きと、そんなしきたりに辛いと思ってた青春時代です。
一つの運動場の中で、様々な部活動が行われる中、毎日毎日グラウンドを全力疾走し、ヘトヘトになりながらも、1人とても綺麗な女性が居る事に気が付きました。同じ小学校の出身なら、1・2学年違っていてもだいたい顔に見覚えがあったので、その人は他校出身の1学年上の先輩だったので、全く知らない存在でした。
いつしか淡い憧れを抱くようになったのですが、その人とは全く接点のないまま、2年生になりました。
・・・なんか書いてたら恥しくなってきたので、また気が向いたら書きます。